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はじめに:スクールカウンセラーへの「思い込み」が全てのはじまり
不登校だった息子が、私立中高一貫校へ進学し、寮生活で「登校」するようになった時は、心底安堵しました。これでようやく落ち着く——そう思っていました。まさか、そのわずか数ヶ月後に「自主退学」という選択をすることになるとは、夢にも思っていませんでした。
小学生高学年で息子が不登校だった時、私たちは当時の教頭先生やスクールカウンセラーの方に本当に支えられました。その経験から、「どこの学校にもスクールカウンセラーはいて、利用できるはず」という、大きな思い込みを抱いてしまったのです。
「学費の高い私立中には当然スクールカウンセラーがいるはずだ」 「不登校で通知表が斜線だらけの息子を受け入れてくれたのだから、事情を抱える生徒に向き合う環境が整っているはずだ」
そう信じて疑いませんでした。不登校経験の有無に関わらず、思春期に親元を離れて寮生活を送ることは、子どもにとって少なからず影響があるものです。だからこそ、心理的サポートの専門家であるスクールカウンセラーの存在は、非常に重要だと考えていました。
ところが、その「思い込み」が全てのはじまりでした。
私立中高一貫校にスクールカウンセラーがいなかった現実
息子が不登校を克服したはずなのに、寮生活で再び不安定になった時、私は担任の先生に相談し、スクールカウンセラーとの面談を希望しました。しかし、そこで告げられたのは、驚くべき事実でした。
「当校にはスクールカウンセラーはおりません。」
学費の高い私立中であれば当然配置されているものと思い込んでいたため、入学前にその有無を確認することすら思いつきませんでした。公立学校では一律にスクールカウンセラーの巡回面談などが整備されているのとは異なり、私立学校は学校法人が運営しているため、スクールカウンセラーの配置についても学校が独自に判断しているのです。職員採用基準も同様でした。
文部科学省の定義では、スクールカウンセラーの職務内容には、生徒や保護者へのカウンセリングだけでなく、教職員への助言・援助も含まれます。
- 1.児童生徒へのカウンセリング
- 2.教職員に対する助言・援助
- 3.保護者に対する助言・援助 (引用元:文部科学省HP)
昭和時代は教員は全能であるかのように思われていましたが、決してそうではありません。保健室登校などで頼られがちな養護教諭でさえも、心理職の専門家ではありません。養護教諭によっては、ケガの処置はするけれど相談には乗らないスタンスの方もいます。
教職員のためにもスクールカウンセラーが有用だと言われているにもかかわらず、なぜこの私立学校は導入しないのか? 私たちは学校に直接確認しました。
「スクールカウンセラーを導入しない理由を教えてください。」
管理職の教員はこう答えました。
「以前にも要望があり検討はしたのですが、部外の人を入れることによるデメリットのほうが大きいと判断したからです。私たちは子どもたちの家族のように接し、どのような子も見捨てることはありません。」
よく言えば「昔からの伝統を守る学校」なのかもしれません。しかし、私たちはこの答えに大きな疑問を感じました。
「家族のように接する」はずの学校の裏側:暴力教員Aの存在
「家族のように接し、どのような子も見捨てない」——そんな言葉とは裏腹に、私たちが直面したのは、信じがたい現実でした。
なんと、息子が在籍していたクラスの担任は、教員2年目のまだ24歳という若さの「暴力教員A」だったのです。 数日前に生徒を殴ったばかりの「問題教員」が、よりにもよって息子の担任。もちろん、その行為はもみ消され、表に出ることはありませんでした。(結局、学校法人本部に通報しましたが、公になることはありませんでした。)
この教員Aは生徒への指導方法が大変感情的で、事情を聞かれて答えた生徒に対し、「そんなのしらねえよ、なめてんのか!」と答えたことがあったそうです。さらに、その保護者へもそのままの勢いで電話をかけ、生徒を見下す言葉遣いで状況を伝えたとのこと。まだ5月のことでした。来年の3月までこの担任と付き合わなければならないかと思うと、息子が不憫でなりませんでした。
息子が急に登校できなくなってからは、状況はさらに悪化しました。
- 配布されたプリント類は整理されず、授業の進捗を聞いても「わからない」の一点張り。息子はますます登校しづらくなっていきました。
- 授業の様子を自宅で見られるように配信してもらえないかと交渉しても、「機材がない」と言われ諦めていましたが、後に教頭に確認したところ、それがウソだったと発覚。
- 自主退学した12月末まで、息子の体調を伺う電話は一切なし。機材がないとウソをついたことなどについての謝罪も一切ありませんでした。
- 電話をしても席を外しており、折り返しすらない。居留守だったのでしょうか?それとも、教員間での連携が取れていなかったのでしょうか?
子どもが不登校になると、保護者と学校との連携は必要不可欠です。不登校経験のあるご家庭ならお分かりになると思いますが、学校との距離感によっては親も精神的に疲弊してしまいます。私たちも、まさにその状態でした。
私立中のプライドと定員割れの現実
「私たちは子どもたちに対し家族のように接します。どのような子も見捨てません。」
この言葉は、今思えば「今どきスクールカウンセラーを導入しないのはミッションスクールだから」というプライド、あるいは「その学校の教員は全能でなければならない」という思い込みからくるものだったのかもしれません。
経験豊富な副担任や教頭がいるにもかかわらず、暴力教員Aの言動はまったく機能していませんでした。表向きは「どのような子も見捨てない」と謳うものの、実際には「お行儀のよい、成績のよい、問題を抱えていない子」だけを大事にしている印象でした。
そういうものなのかもしれません。進学実績は学校経営に直結しますからね。
今にして思えば、ここ数年定員割れしている理由を、私たちはもっと深く分析するべきでした。
転校を決心、そして新たな道へ
担任の暴力教員Aとのコミュニケーションが全く取れない日々が続いていました。教頭にはようやく相談に乗っていただきましたが、直接暴力教員Aに指導することはなく、「まだ若い経験の浅い教員だから大目にみてほしい」と言われ、私は驚愕しました。社会人2年目と考えれば大目に見てほしいというのも分からなくはないですが、なぜ適切なフォローをしないのでしょうか。
立派な学歴を持つ教員はいるものの、人間性はどうなのかと疑問を持たざるを得ませんでした。その他、生徒指導の先生にも掛け合いました。対応は大変まともでしたが、深く傷ついた息子と私の心は治癒する見込みはありませんでした。
悶々とした日々に疲れ、この学校に通い続けるメリットがないと見切りをつけた形で、転校することにしたのです。
暗いトンネルの先に光が!通信制高校で再スタート
転校後も息子は中学3年生になりましたが、しばらくの間はテストも受けず、修学旅行には参加したものの、残念ながら不登校の状態が続きました。内申点が気になる時期でしたが、もう時間は戻せません。
こうして冷静に明文化すると、学校についてよく調べないまま進学させてしまったことが、根本的な問題だったと痛感します。伝統的な学校であること、OBからの勧めなども受験のきっかけではありましたが、我が息子には残念ながら合わない学校だったのだと思います。
しかし、私たちは諦めませんでした。そして、息子は新たな一歩を踏み出しました。
現在は通信制高校の1年生になり、毎日楽しく通学しています!驚くことに、やりたいことまで見つけられたようです。
通信制高校の素晴らしい点は、息子のように不登校で学習に遅れがあった子にも寄り添い、個々のペースに合わせた「学び直し」の機会を提供してくれるところです。無理なく、そして安心して、自分のペースで学習に取り組める環境が、息子の自信を取り戻してくれたのだと実感しています。
後悔しない学校選びができるといいのですが、実際に入学してみないとわからないところがたくさんありますね。
我が家の高校受験は、結果的に中学での学び直し、そして通信制高校という新たな選択肢へと繋がりました。不安は尽きませんでしたが、息子が今、生き生きと学んでいる姿を見られることが、何よりの喜びです。